創業の頃

当社は太平洋戦争の敗戦によって、日本中が物心両面で大きな痛傷を受け、まだ立ち直れなかった時代に、旧大倉土木株式会社(現大成建設)の上海支店長であった桑野藤三郎を中心に、上海よりの引き揚げを機会として、同志が相集まり、昭和21年7月、旭営造(株)を設立しました。因みに「営造」とは中国語で「建設」を意味し、創業者達の中国への熱い想いを社名に入れたものであります。

終戦直後には、米駐留軍による渉外工事の他は、官需、民需共建設工事らしきものは殆ど無く、当社は米軍武山キャンプ(横須賀市)内において、礼拝堂、劇場、酒保等の設計施工の建設工事を請負い、諸物資の無かったなか、瀟洒な設計と誠実な施工により、施主側の信頼を得て、同キャンプ内の諸工事を始め、米海軍横須賀基地の外、他都県での米軍諸施設の工事についても受注を重ねてまいりました。

武山キャンプ教会

一方、昭和22年「営造型規格住宅」を企画開発し、量産体制を整えます。この住宅は板材以外はすべて規格材で纏められ、土台、柱は100×100で、他材は100×25、50×25、25×25の単材あるいは組み合わせでまとめられていました。今日行われているところの2'×4'にあらず、1'×4'の大壁式住宅でありました。
その標準設計には必ず洋間が取り入れられていて、それまでの住環境を変える画期的な考えとして注目を集めました。これはその後にいうDKあるいはLDKの始まりであり、これにもう1室六畳程度の和室と合わせ、9〜15坪(当時は15坪が許された最大規模)の規格住宅を供給しました。この住宅は「食器と夜具を持ち込めばすぐにでも住めますよ」といううたい文句通り、靴箱、浴槽、二段ベッド、収納戸棚から椅子やテーブル(これは当時から現在まで別注が多い)などもセットされていました。


営造型規格住宅


この規格住宅は戦後の焼け野原の中にしゃれた個人住宅として数多く建築されましたが、それだけにとどまらず、各地の国鉄職員宿舎としても建てられ、また川崎市営、神奈川県営等の公営住宅としても受注して参りました。

その後住宅の不燃化への流れに対応するために、昭和27(1952)年頃から「営造型コンクリートブロック造住宅」を開発しました。これは型体については実用新案を、施工方法については特許を得ており、昭和30(1955)年に作成されたパンフレット「営造型TK式コンクリートブロック」に、工学博士内田祥三先生は「ブロック建築のあり方について」として次のような一文を寄せて推薦しておられます。

営造型TK式コンクリートブロック

「桑野藤三郎君の考案した営造型TK式空洞ブロックは、空目地ができやすいというブロック積の大きな欠陥をなくするために、ブロックの形に特殊の考案をめぐらし、敷きトロのほかに、注ぎトロを併用することにより、粗雑な施工でない限りは水平目地全面にモルタルを充填することができることになっていることが最も大きな特徴であり、なお柱や梁を鉄筋コンクリートとするのだから、充分丈夫な構造とすることもでき、誠実なる施工を伴うことによって、耐震、耐火の住宅を格好な価格で造ることができると思う」

その後、「営造型TK式コンクリートブロック」造は、諸官庁関係、国鉄関係、民間企業等の宿舎及び公営住宅、また個人住宅としてもあまた採用されておりましたが、時代の流れで、鉄筋コンクリート造等へ移行していきました。

尚、昭和25年2月に企業の発展と共に社名を協和営造株式会社に変更を致しております。協和営造は現在、鉄筋コンクリート造、鉄骨造を中心に事業を展開し、また、注文住宅にも対応していて、数多くの顧客からご信頼を頂いております。特に都市基盤整備公団には、昭和31(1956)年に指名を受けて以来、現在まで公団住宅の建設及び改修工事に携わってきております。(工事経歴書をご参照下さい)

時代の趨勢に呼応して、平成13年12月に(財)ベターリビングよりISO9001-2000の認証を受けておりますが、そのISOの骨子でもあります「顧客の満足の向上を目指そう」ということが、昭和30年に初代社長の桑野藤三郎が書いた社是の中に殆どそのままの言葉で書かれているのも感慨深いものがあります。


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